明日は良い日

毎日が日曜日……シンプルに晴耕雨読。

幸せは、ほかほかと心地良く

寝室の暖房はオイルヒーターだけ。
エアコンの設備はあるけれど、室外機が屋根に乗っていて、数年前から、使うと家中が震えるようになった。築45年の古家。人が住まない年月もあったから劣化も仕方ない。
新しいエアコンの付いている、誰も使っていない部屋もあるし、夫が使っていたストーブなど何台かのストーブもあるのに、スイッチONしてあるのかどうか、温かいのかそうでないのか、正に昼行灯のようなオイルヒーター。
それでも、ふ~んわりと覆ってくれるこの優しい温かみが好きな、20年来の冬の友。



昨年大晦日から、
羽毛布団の上にサラリとかけていたひざ掛けを、毛布に変えた。
100均のゆるゆる靴下を(夏でも靴下を履いている)、裏ボアのブーツのような靴下に変えた。
真冬でも、ブルブル震えながら洗髪・洗顔・身体を洗ってから湯に浸り、ほぼ1分で上がるというカラスの行水だったが、知り合いがヒートショックで急死したことを知り、自分の年齢や一人暮らしということも考えて、身体を洗ったら湯に入り、洗顔したら湯に入り、洗髪したら湯に入り、を繰り返すことにした。


風呂から上がり寝室に入ると、入浴前にスイッチを入れたオイルヒーターが、温もりはそれほど感じられなくても、ひんやり感もない程度に温めてくれている。
布団に腰まで入り、フリースの上着を羽織り、オイルヒーターを背中近くに引き寄せて、小一時間(この時間で身体の熱もおさまる)の読書をする。




これらで万全、冷え込み厳しい夜も、おだやかに眠らせてもらっている。
トイレに起きるのも1回だけになった。
睡眠特効薬“ほかほか”は、すぐそこにありました。

思い出の虫干しなど

強風と猛烈な冷え込みで外に出る気になれず、急に思い立って、何年も蓋を開けていなかったダンボールの整理などした。


再びの正社員生活を始めたのは、下の子が小学4年生になった時。
スタートは、そういう職種があることさえ知らなかった写植(写真植字)オペレーター。活字を用いず、文字板からレンズを使って1文字1文字ずつ感光紙に印字して印刷版をつくるもので、2ヵ月の講習後、現場に配属された。



40歳になった頃、仕事の幅を広げたくて夜間のデザイン学校に通い版下を学び、カラス口などを使って取説用のイラストなどを描いたり、切ったり貼ったり、なにもかも手仕事。楽しかった~!
やがてデジタル化(DTP)が進んで、それらはパソコンで出来るようになり、若者たちが入社してきて、私はデザインやコピーライター、旧態依然の版下、営業・顧客管理と仕事は多岐にわたり始め、"何でも屋さん"は定年まで続いた。
これも楽しかった。のめりこんだ。



娘が交通事故で重傷を負って長い入院生活となり、共通の話題を得るため、一緒に放送大学で学び始めたのは42~43歳の頃?




30代半ばから会社の同僚たちと山歩きはしていたが、慢性関節リウマチ発症でその仲間たちとの山行が難しくなり、一人登山をすべく基礎から山のことを勉強しようと、1993年5月、区主催の「中高年のための山歩き講習会」受講。
受講後、講師に指名されて40名ほどの山の会を設立。一人登山どころか、15年間副会長として大勢の仲間達と山を楽しんだ。




一時、柳ジョージが好きだったこともあった、のを思い出した。
BOX型のツアー記念カセットテープ。コンサートに行った時、買ったのかなぁ?



このての整理は思い出の虫干しに終始して進まないものだが、キチキチに詰め込まれていた半分を処分できたことにビックリ。
ダンボールはあと2つ。
コンサートグッズとか、映画のパンフレットとか、旅のあれこれとか、手がけてきた仕事関連とか、より思い入れの強い物たち。
今回のようにさっさと出来たらいいけれど…。

「つまらない、つまらない」の言い訳!

ほとんど雪が降らない我が家のあたりだけれど、今日は平野部でも雪が…との予報。
今にも降りそうではあるけれど、どうだろう?
ホントに降るのかな?
つけっぱなしのテレビから悲し気なハーモニカのメロディーが流れてきて、夕方辺りには絶対に雪が積もっていそうな気になってくる。


昨日、社協で中古の録音デッキを購入してもらい、昨年末来の騒動に終止符が打たれたというのに、あんなに悩まされていた問題が解決したというのに、なんだろう、この浮かない気分は?
辺り一面を覆っている鉛色の空気・空のせい?


姫孫長女ちゃんがお正月に来た時、サンタクロースさんからのプレゼントの編み機で、アームバンドを編んでくれた。
パステルカラーの美味しそうな色合いのアームバンド。
それをはめた腕でキーを打つと、少しだけ嬉しくなるけれど…。



この春からは畑の3分の1ほどを花畑にする予定。
簡易温室のビニールの中で、キンセンカ、瑠璃ヒエンソウ、ゴテチャ、キンギョソウ、ヒャクニチソウなどが育っている。
どんなふうなレイアウトにしようか、などと考えるのだけれど、なんだか気持ちがのらなくて、止めた。



あ~ぁ、あ~ぁ、あ~~ぁ!
なんでこんなにつまらないんだろう!
仕方ない、こうなったら動くとしよう。
お昼ご飯でもつくろうか!
夫の仏壇から下げたご飯が溜まっちゃってるから、焼き飯でも?



昨日畑から採ってきたスティックブロッコリーを茹で、焼き飯には残り物のイカリング揚げやピーマン、玉子、タマネギなど。
味付けはいつもの梅干しとシソの実塩漬け。
スープはインスタントだったけど、美味しかった。
すごく美味しかった。


あれ? なんだか元気が出てきたような。
うっそ!!!
つまらなかったのは、お腹がすいてたから?
そんなはずないのは分かっている。分からない理由を探しても仕方ない。とりあえずはこのまま昼寝に突入しようと思う。
「気分が浮かない時は寝ること」。長い年月の間に出した答え。

令和6年、明ける。

早いもので令和6年も明けて、もう12日が終わろうとしている。
元旦の能登半島地震、翌日の日航機と海上保安庁機の事故、火災、幾つもの訃報が続いた。それもあってか、政界の金問題、大企業の不正など、昨年から続いている負の問題までもが、必要以上に重く気持ちの中に入り込んでくる。


長い規制が外されて、ノーマスクでも大手を振って歩けるようになって、気持ちも明るく上向いて迎えた新年だったのに、なんという幕開け。
情け容赦なく凍える中に放り出されてしまった地震被災者の方々。
どうぞ、少しでも早く暖の取れる場所に戻れますように。
安心して眠れる夜が訪れますように。
健康を維持できる食事がとれますように。
病やケガの治療を受けられますように。
もっともっと、あれもこれも、地震前の暮らしを取り戻せますように。
祈ることしか出来ないから、祈ります。


私はと言えば、一人で過ごす年末年始の予定だったが、30日に義息子三男のお嫁さん・Mさんから「行ってもいいですか?」との連絡があり、やって来た。
「明日、パパも来ます」と言われ、ほとんど買い物もしてなかったから大慌てで年越し、迎春の準備に追われたが、31日午後「発熱で行けなくなった」と連絡が。
大食漢の息子君だから用意した寿司、年越し蕎麦を前にMさんと呆然。年越しはお寿司を食べられるだけ食べて、お蕎麦は元旦の朝に食べた。
そしてそのあたふたの最中に、35年前に亡くなった奥様のお兄様が亡くなったと連絡が。ここ6~7年は年賀状のやりとりさえも絶えていて、夫が亡くなったことの連絡もしていなかったし、義息子3人達とも音信不通だったようで、その後のてんやわんやはおしてしるべし。
2日には三男君一家5人がやって来て、4日に帰京するやいなや、年賀状が来なかった二人の友人から、辛く切ない内容のメールが続けて届いた。
そしてネッ友さんの愛犬ちゃんの悲しいお知らせも。


今朝の冷え込みは酷かった。
サッシの室内側の結露を拭こうとしたら凍っていたし、ストーブの室温表示は0度。それ以下の表示は出来ないからマイナスだったかもしれない。外の水道の蛇口にはツララが下がっていたし、暖気運転しようとした車は、鍵の解除もできなかった。

令和6年は動き始めた。
始まったばかりと言うのに、こんな年は早く過ぎ去って欲しいと、思っている。

アドベントカレンダーとあたふたと…

お嫁さんのMさんが送ってくれた、テディーベアのアドベントカレンダー。
昨年も送ってくれたが、私がすごく喜んだので、「今年も楽しんでほしくて…」と、昨年の倍はありそうな大きなのが届いた。



ボール、サンタクロース、雪ダルマ、クリスマスツリーなどが日替わりで窓から顔をだしてくれたが、なによりそのチョコが美味しくて…。
お正月にやってくる孫たちに残しておこうと思ったのは最初だけで、最後の窓から出てきた特大テディベアに至るまで、一つ残さず食べてしまった。



まったくもって、なんというばぁばだこと。
可愛いチョコを探して、お正月までに、窓の一つ一つに入れて、また窓を閉めておかなくちゃ。
孫たちは、お正月にばぁばんチの窓を開けるのを楽しみにしているのだ。



そんな食いしん坊をしちゃったから罰が当たったのかもしれない、25日から始まった広報1月1日号録音のあたふたは。
音量レベルもきちんと確認しながら作業したのに、途中から小さい小さい音量になってしまっただけでなく、確認のためのスピーカーが言うことをきいてくれない。
あぁでもない、こうでもないとあちこちいじっても事態は変わらず。
情けないほど骨董級の録音機器ながら、考えられる限りの対策を試みたが、けっきょく改善されず。
メンバー3人で相談の結果、完璧ではない音訳テープだが発送し、翌日、利用者さん一人一人にお詫びの電話をした。どなたも恐縮する私に優しく労いの言葉を下さったのが、とにかく申し訳なくて申し訳なくて。
特に元旦号の市長・市議会議長の新年挨拶は、ご本人に読んでいただいている。その部分はまだ不調になる前だったからきれいに録音されていたから良かった。そのことも、しっかり利用者さんにはお知らせした。
そして昨日。仕事終いで市役所職員さん達が忙しく動き回っているなか、先輩と二人で機器の検証をしたもののお手上げ。来年に持ち越さざるを得ず録音室を出た。3日間通い詰めたのに徒労に終わってしまった。




ダメなものは仕方ない。
開き直った今日、やっと年賀状を書き終え、玄関周り等の掃除をし、正月飾りも終わった。とはいえ、やらねばならないことはまだ幾つか残っている。2日から三男君一家がくるが、年越しは一人でのんびりのはずが、どうやら例年どおり、大晦日まであたふたすることになりそうだ。