明日は良い日

毎日が日曜日……シンプルに晴耕雨読。

いよいよ到来、冬の朝!

中途半端な衣替えもスッキリしないまま、気づけば冬季に入っていて、ここ10日ほどの起床時は、殆んど4~5度。
寒い。
冷たい。
雨戸を開ける手が悴む。


そして「明日も良い日」の更新も、9月13日から2ヵ月半ぶり。
「ダイコン用の畝を作った」と書いてあるが、1週間ほど前からそのダイコンの収穫が始まり、兄宅・娘宅に貰われて行って、葉っぱまで喜ばれているのが嬉しい。
もちろん私もここ数日というもの、煮たり焼いたり生でだったり、柔らかくて甘いダイコンと葉っぱの虜になっている。



今朝も雨戸を開けた時は5度。
我が家の周りは、私も含めて5人の隣人たちの家庭菜園が続く。
窓から見える畑の野菜は、どれもこれも真っ白に霜が降りていた。


寒さに慣れない数日はエアコンもつけたが、今朝は居間のファンヒーターと、キッチンの石油ストーブだけにした。
そして、寒くなると夫がやっていたことを真似してみようと、ふと思いついた。
着替えをストーブの真ん前に置き、しっかり温まったら、ストーブの真ん前に背中を向けて着替えるのだ。


いつもは寝室で震えながらの着替えを、ストーブの前でやってみた。
あったかぁ~い!
温まった下着が気持ちい~い!
だけど、ストーブの真ん前に陣取るのは数秒もできなかった。
これは火傷するぅ!


たしか、「焼けるようなこの熱さがいいんだよな!」なんて言っていたけど、とうてい信じられない。
今まではたとえ夫の前でも、そんなはしたないこと出来なかったが、今は一人暮らし、年齢的にもヒートショックの心配も免れることだし、ストーブの前での着替え、アリかも。

愚痴を吐きながら、鍬を振り続ける不思議

多くの時間と体力を使って、夏の間に膝上まで伸びた草を根から抜き、キューリ・ナス・ピーマン・オクラ・インゲン・トマト・ミニトマトなと野菜残渣も抜き取り、マルチや支柱、ネット、留め具などを取り去り、3畝あったイチゴは全て抜き、ご近所さんにトラクターで耕起してもらって、広々となった我が菜園。




それから10日ほど経ち、ようやくダイコンのための畝づくりに取り掛かった。
ロープで区画の印をつけ、何十何百回鍬を振り上げ振り下ろし、苦土石灰を撒き、堆肥を撒き、肥料を漉き込み、その土を盛り……。




あぁ嫌だ嫌だ、もう止めよう、なにやってんだか私…毎度お決まりの、何年も繰り返してきた愚痴を吐きながら、ブログ仲間さんが表現していた「ジョーロのように」汗をかきかき、へとへとになりながらも、脳裏には白く太った大根がチラついて嬉しい不思議。


そうなんだ、けっしてこれらの作業が嫌いなわけではないのだ。
ただ、お医者様お墨付き(?)の体力のなさで、身体的に参っている故なのだ。


主治医と相談の結果、夫の残した耕運機使用を断念したのは7月のこと。
耕運機を使用すればかなり楽チンになるのは分かっていたから、この夏から、と心づもりしていたが、とうてい無理なことが分かったのだ。土方焼けし、いつも疲れ切った顔で、鍬を1振り1振りの菜園遊びが、今後も続く。
いいかげんに、もう少しお洒落な趣味を持ちたいけれど、無い。

秋と、「銀座四宝堂文房具店」と、古内一絵さん

「銀座「四宝堂」文房具店Ⅱ」(上田健次著) が届いた。その「Ⅰ」をアマゾンからのお知らせで購入し、シリーズ化もしくは続編が出ないものかと待っていたところ、aiaipeeさん情報でⅡの出版を知り、即購入したのだ。
「涙が止まらないという帯の言葉、いつもは馬鹿にしていましたが今回は本当でした」と帯がついている。実は私も、涙ポロポロとの帯言葉を、あまり信用していない一人だ。


なのにどうしたことか、1話の後半から涙が止まらなくなった。
あれあれ? はつゆき、どうしたの? ここって泣く場面? と苦笑いしながら涙ポロポロ。悲しい訳ではなく、結婚式の両親への手紙で、会場の誰もがもらい泣きする、多分あの類の涙です。まんまと帯言葉に乗せられてしまったけれど、続く4つの話はどうだろう?





とりあえずは今日はここまでと決め、ページのどこかにあるはずの栞を見つけた時、流した感動の涙はそのままに、思わず見入ってしまった。
挟まれていたのは、「百年の子」(古内一絵著)の栞広告。


人類の歴史は百万年。だが、子供と女性の人権の歴史は、まだ百年に満たない。
舞台は戦中~令和の出版界。100年の歴史をもつ学年誌を軸に子供が、女性が、母親が、人生を掴み取る姿を描く感涙大河小説。


との文字。既に発売されているのか、これからされるのか。


古内一絵さんとの出会いは「マカン・マラン 二十三時の夜食カフェ」全4冊シリーズ。女性騎手の物語「風の向こうへ駆け抜けろ」「蒼のファンファーレ」と続き、他に「鐘を鳴らす子供たち」などそれほど多くはないが、好きな作家さんだ。特にマカン・マランは、何度も読み返すほど気に入っている。




1冊気に入ると、その作家の本を買い続ける癖のある私。それゆえにこのごろは、え? うん? ちょっと違う? と失敗することも多くなってきた。
百年の子…読書メーターの読みたい本1位らしいが、今の暮らしでは、1,980円はちょっと辛いなぁ!
とりあえずは読みたい本リストにいれ、後は「読みたい気持ち」に任せるとして、まずは「銀座「四宝堂」文房具店Ⅱ」を、ゆっくりと読んでからにしよう。


台風のもたらした雨のせいか、炎暑酷暑の3日前から急転直下、秋の気配いっぱいの今日、本のこと、銀座四宝堂文房具店のこと、古内さんのことなど考えながら、コーヒーでも飲もうか。
え? なんと4杯目? これを最後にしながら。

手紙

長きにわたり、本当に本当に、会長という重責を担って頂き、ありがとうございます。そしてお疲れさまです。
私の後から入会されて、東京まで通勤していたと言うお話しに、当時ものすごく驚いた記憶があります。
その後少ししてから、会長職に就かれました。
ご主人様の看病見送りと本当にお辛い思いを抱えながら、会の40周年記念誌を作りました。まさか、できる?の不安も、立派なステキな唯一の物が見事に出来上がって、実現可能にしました。
もの静かなお見受けとは違って、すごいパワーの持ち主と、見直しました。


――――― 中略 ーーーーーー


全速力で駆け抜けて来た時を振り返り、今、静かに立ち止まって、これから先を考えたいです。
幸い、公民館のお教室は仲間に無事バトンタッチができました。素晴らしい仲間に支えられてきたこと、本当にありがたいです。
会に再び戻れることを目標に、静かに日々送れること、今一番の贅沢です。


私へのねぎらいの言葉とご自身の心境が書かれたラインを下さって、音訳ボランティア仲間のYさんが休会に入ったのはこの3月のことだった。
従業員7~8人を抱える個人事業で、出社はするものの外には出ないご主人に代わって、内で外で陣頭指揮をとり、ご自身の趣味から始めたことのインストラクターとして幾つかのお教室を持ち、そのインストラクター組織の重鎮であり、ボランティアとしてはかなり多忙な我がグループでも、きっちり役割をこなしていたYさん。
全速力で駆け抜けてきたとおっしゃるが、読書、音楽や舞台鑑賞、インストラクターとしての修練も怠ることなく、人柄も申し分ない。
何もかもが満点で、まさにスーパーウーマンと言える方が稀にいらっしゃるが、彼女もその稀なる人の一人だと私は思っている。




こうだから、という理由はおっしゃらないが、そんな彼女が休会を決断するにはそれなりの訳があるのは確かであり、ずっと気になっていた矢先、嬉しいニュースが舞い込んで、それを伝えたくて連休前に手紙を書いた。
そして今日、ポストに入っていた彼女からの返信。
「嬉しくて何度も読み返した」とある。愚痴のオンパレードみたいな手紙を喜んでくれて、すぐに返事を書いてくれて、こちらこそ嬉しくて、何度も読み返している。
ナデシコの花がいっぱい散らされた白い封筒。便箋にもたくさんのナデシコが咲いている。


手紙…書いて良かった。
手紙…受け取ってなんて嬉しいんだろう。

不毛なだけの草取り作業…

草取りは嫌いではない。
けれど、さすがにそれも疲れてきた。



4月初旬から副鼻腔炎になり、治りきらないうちに左足首を捻挫、2ヵ月半というものほとんど畑仕事が出来なかった。
4月~6月は、野菜作りには一番重要で且つ忙しい。その時期に作業出来なかったのは大きな痛手。そのうえ夫がいなくなって、体力のない私一人だけになり、5月下旬からたびたび豪雨・強風・雹・猛暑などに襲われてきた。



でも、なんとか菜園を維持したい。
もともとは私の畑だが、5~6年前からはほぼ夫に乗っ取られてしまっていた。雨の日は家で出来ることを、晴れの日は日がな病気をおして土遊びを楽しんでいた夫。
病人とは思えないその姿に、「治って良かったね」と言葉をかけてくる近所の人たちもいたし、この私とて、時には夫が病人であることを忘れてしまいそうでもあった。
とはいえ必ず一緒に畑に出て、夫の様子を見守ることは欠かさなかった。そういう日々は、入院の前日まで続いた。



それほど夫が大切にしていた畑だから、踏ん張る気力があるうちはなんとか維持したい。
20本ほどのヒマワリや、キューリ、ナス、トマト、オクラ、ピーマン等の定番夏野菜が1~2本ずつ育っており、オシロイバナやマリーゴールド等の花で場所塞ぎもしているが、スペースの半分近くが空いている。
そのため、毎日2時間ほどの時間を草取りに追われているが、追いつかない。
ひたすら草と格闘しても、2~3日もすると元の木阿弥。「なんでこんなに元気なのよ、ちょっとは遠慮しなさいよっ!」と一人ゴチているうちは、まだやる気があったような。
でもこの頃は、そんな思いも出てこなくなった。



後は自分との闘い?
この不毛なだけの草取り作業………いったいいつまで続くんだろう。

というか、続けられるだろうか。