明日は良い日

毎日が日曜日……シンプルに晴耕雨読。

おこがましくも「全国社会福祉大会厚生労働大臣表彰」市長表敬訪問

昨夜は寒かった。
冬用のカバーをかけた羽毛布団1枚で事足りていたが、この冬初めて、昼寝用の薄い毛布を上に掛けた。
寝心地最高、ほかほかに包れて朝まで1度も起きることがなかった。


昨日は、嬉しいことの訪問があったのだが、予想していたものとは程遠い、とんでもなくかしこまったもので、最後まで緊張のしっぱなしだった。
会議室の大きな楕円形テーブルの上には、「令和5年度全国社会福祉大会厚生労働大臣表彰 表敬訪問」との仰々しい名称の「次第」と、私たちボラグループ「Kの会」役員6名の席順表が置かれていた。
そう、43年間の活動に対し、厚生労働大臣表彰をいただいた報告のための市長訪問だったのだ。
「こういうものをいただきました」の挨拶と、市長を囲んでの記念撮影で10分もあれば終わるものと軽く考えていた。
が、とんでもなかった。
真正面の市長の他に、広報課や所属の分からない方々数人に報道、そして日頃お世話になっている社協の方々など、我々より多人数が両側に……。
我々全員がマスク着用だったため、慌ててマスクをつけに部屋に戻る市長の様子がドアの向こうから聞こえきて、少しだけ気持ちはほぐれたものの、歓談時間も含めて30分、緊張はとれなかった。
ねぎらいの他に、IT化に伴う市の取り組みや、新たな約束などもいただけたのは何より嬉しかったが、40周年記念誌をじっくり読んでくださったようで、「ボランティアとしては非常に忙しく活動されているんですね」と、活動を掘り下げて知ってもらえたのも嬉しかった。私たちだけでなく、市民はこんなふうに頑張っていますよ、とほんのちょっとでも知ってもらえたから。


とにかく一息つきたくてファミレスへ行き、全員が甘いものを注文。夕飯時が近いから(午後4時を回っていた)とドリンクバーも頼まず、まずは落ち着きを取り戻した。
「これからも頑張ろうね」と約束を交わし、「良いお年を!」を言い合って解散。


普通の主婦、小さい市ではあっても市長に会って直接話をする機会などもうないだろう。
よく買い物に行かれるという市長。買い物途中に出会ったら、気軽に「市長さん」と声がけする約束もした。
どこかのお店でお会いしたいなぁ!

第九合唱に震える

「体調不良で行けなくなったので、チケット無駄にしたくないから行きませんか?」との打診があって、友人を誘い数年ぶりに出かけたのは、音楽のある町高崎「高崎第九合唱団 創立50周年記念 第50回演奏会」(12/9)。
この合唱団の第九は過去2回聴きに行っているが、どちらも7,8年以上前のこと。格段にパワーアップをしていて、身体に震えが起きるほどの衝撃・感動だった。
パンフレットによると、合唱団は11月9日にウィーン少年合唱団との合唱練習、11月12日に「ウィーン楽友協会 黄金の間」での演奏会を終えたばかりだという。


会場は、新しく建てられてそれほど経っていない高崎芸術劇場。
出演:群馬交響楽団(管弦楽)
指揮:矢崎彦太郎
プログラム:美しく青きドナウ(ヨハン・シュトラウス)
交響曲第9番作品125「合唱付」(ベートーヴェン)


あまりの人気で、今年は2日間の開催になったとか。
我々は1日目に行ったが、大劇場は満席だった。




生の演奏。
大合唱。
臨場感。
素晴らしい時間だった。
生活の中からすっかり遠退いてしまっていたこういう時間を、ひょんなことから取り戻せたことをおおいに喜びたい。
私のことを思い浮かべてくれた友人に感謝したい。
高崎芸術劇場、足げく通うことになりそう。

ズル休みの後のプレゼントラッシュ!


公民館講座で俳句を習いだしてから、6~7年、もっと? よく分からないが、かなり経つ。
ここ4年はいろいろあって、コロナとか、夫のこととか、自身のケガとか、体調不良とか、来客とか、通院とか、なんだかんだで皆勤賞なら48回の吟行・句会に、7,8回しか参加できていない。今年に限っては1度? 2度?
そんな状況なのに、見捨てることもなく、何かと声がけしてくれる講師や句友達には感謝しかない。
とか言いながら、昨日の例会は何にもないのに、体調良好、家事予定なし、来客他の計画もなし、要するに何ら欠席する理由はないのに、参加しなかった。
ズルズルと関わっているうちに、もうイヤになっちゃったというのが本音かな?
いろいろ教わってきたことも、季語も、どこかへ飛んで行ってしまった気がするし、少しずつ錆を落としてきた“感性”も、再び分厚い錆に覆われてしまったみたい。


そんな状況ながら、“ズル休み”したことが思った以上に気持ちを落ち込ませ、ダラダラしているとなおのこと情けなくなるので、無理やり洗濯物を探し出して洗濯機を回したり、整理したばかりの物置を片付けたり、悪あがきをして過ごした。


そんな時、玄関のチャイムが鳴った。
東京の妹から宅急便だ。
「テレビを見ていたら美味しそうなお菓子が紹介されていたので、東京駅まで買いに行ってきた。お茶のお供にどうぞ」と、かりんとうやらシフォンケーキやら何種類かのハチミツの小瓶の詰め合わせ。



贈り物にワクワクしていると、庭に誰かが。
仲良くしているご近所さんが、大きくて立派なミカンを10個も持ってきて下さった。30年物という美味しくて評判のミカンだ。
ひとしきりお喋りして、また一人になって、ハチミツの小瓶を眺めていると、またチャイム。



またまた宅急便。義理の息子君からのお歳暮だ。
夫が大好きだった九州の辛子明太子と、なんとも豪華な感じの冷凍ハンバーグ。ハンバーグも夫の大好物だった。


横着休みしちゃってる情けない私に、何なの、この沢山のプレゼントは。
テーブルの上いっぱいのあれやこれやが、さっきまでの憂鬱を吹き払ってくれた。
ニヤニヤしているところに、俳句仲間から新年の日程変更の連絡がきた。あっさりと参加を快諾するげんきんな私。

三浦暁子著「太郎の嫁の物語」…ビジネス社

今まで読んだ本の中で5本の指に入る「好きな本」「印象深い本」の1冊、曽野綾子著「太郎物語 高校編・大学編」。
とにかく古い。
35年前?
40年前?
定かではないけれど、30代だったと思う私には、主人公の太郎君がとにかく面白くて魅力的だった。
その後、年齢を積み重ねる中でもその気持ちは変わらず、何度読み返したかわからない。



著者の曽野綾子の小説と言えば「砂糖菓子が壊れるとき」「天井の青」しか知らない。かつて1度は読んだはずだが、今だったら、おそらく手にすることはない類の本だろう。
太郎物語以降かなり年月を経てから、「魂の自由人」「老いの才覚」「靖国で会うということ」「百歳までにしたいこと」等を購入したが、諸々に対する曽野さんの考え方が好きで、ほとんど手にすることが無かったジャンルなのに、曽野綾子著に限っては、いつの間にか数冊にもなっている。


「太郎の嫁の物語」は、その太郎物語のモデルと言われている曽野綾子の一人息子・三浦太郎氏の妻である暁子さんのエッセイ集だ。
1,760円という値段に躊躇しながらも購入したのは、新聞の書評はもちろんのことだが、あくまでもモデルであり実際の人物ではないと分かっていても、あの魅力的な太郎君のその後を知りたい「のぞき見」的な興味に尽きる。




今日その本が届いた。
第1章 まずは、夫・太郎
第2章 次に、祖父・逸雄と祖母・小イシ
第3章 そして、義父・三浦朱門
第4章 それから、義母・曽野綾子
第5章 最後に、私たち家族


結婚してからずっと、私は夫とその家族に驚き続けてきた。実家とはあまりにも違うタイプの家族を前に、何度も息をのみ、「いったいこの人達はどうなっているのだろう」と仰天した。
帯にはこう書かれている。

チビちゃんじゃないのッ、おねーちゃんッ!

「はーい、チビちゃんたち、お手伝いおねがいします」
3人のチビ姫孫ちゃん達を呼んだ。
と、5歳、3歳の二人が走ってきて、
「チビちゃんじゃないのッ、もうおねーちゃんッ!」
と、声を揃えて抗議した。
「あらあら、ごめんなさい。おねーちゃんたち、これ運んでくださいな」
と訂正すると、元気に
「はぁ~い」
のお返事。
二人の後ろで、7歳ちゃんは余裕で、
「何を運べばいいの?」



そんな3人の義孫の七五三祝いが、11月の始めに当地の神社で行われた。
義息子の三男君はお父さん大好きで、コロナ禍は仕方なかったものの、父親の闘病中はほぼ毎月のようにやって来ていた。
7歳ちゃんのことは、病気発覚時はお腹に宿っていることさえも分からなかったが、5歳ちゃん、3歳ちゃんと続いて誕生し、じぃじには大きな励みとなってくれた。
3人とも、お宮参りや3歳の七五三も当地の神社で行っている。




お嫁さんの依頼で、髪結いや着付けは私がお世話になっている美容室。
7歳ちゃんと3歳ちゃんのヘアースタイルや着物は、二人がそれぞれカタログで選び、5歳ちゃんはピアノの発表会で着たワンピース。ヘアースタイルはこの子も自分でカタログから選んだ。



七五三祝いの前後日は、それはもう慌ただしかったの一言だが、東京からわざわざやって来て下さったお嫁さんのご両親も交えての当日は快晴・無風の穏やかな七五三日和りで、はつゆきばぁばは感無量。
義息子・義孫の“義”など跡形もなく吹き飛んで、3人の健やかな成長にそっと涙したのだった。



祈祷やお参りが済んだあとの境内で、7歳ちゃんから渡されたのは、最初に、じぃじ・ばぁば3人それぞれの名前が書かれた「きてくれてありがとう」のお手紙。


7歳ちゃん、あなたこそもう立派なおねーちゃんですね。