明日は良い日

毎日が日曜日……シンプルに晴耕雨読。

思い出の虫干しなど

強風と猛烈な冷え込みで外に出る気になれず、急に思い立って、何年も蓋を開けていなかったダンボールの整理などした。


再びの正社員生活を始めたのは、下の子が小学4年生になった時。
スタートは、そういう職種があることさえ知らなかった写植(写真植字)オペレーター。活字を用いず、文字板からレンズを使って1文字1文字ずつ感光紙に印字して印刷版をつくるもので、2ヵ月の講習後、現場に配属された。



40歳になった頃、仕事の幅を広げたくて夜間のデザイン学校に通い版下を学び、カラス口などを使って取説用のイラストなどを描いたり、切ったり貼ったり、なにもかも手仕事。楽しかった~!
やがてデジタル化(DTP)が進んで、それらはパソコンで出来るようになり、若者たちが入社してきて、私はデザインやコピーライター、旧態依然の版下、営業・顧客管理と仕事は多岐にわたり始め、"何でも屋さん"は定年まで続いた。
これも楽しかった。のめりこんだ。



娘が交通事故で重傷を負って長い入院生活となり、共通の話題を得るため、一緒に放送大学で学び始めたのは42~43歳の頃?




30代半ばから会社の同僚たちと山歩きはしていたが、慢性関節リウマチ発症でその仲間たちとの山行が難しくなり、一人登山をすべく基礎から山のことを勉強しようと、1993年5月、区主催の「中高年のための山歩き講習会」受講。
受講後、講師に指名されて40名ほどの山の会を設立。一人登山どころか、15年間副会長として大勢の仲間達と山を楽しんだ。




一時、柳ジョージが好きだったこともあった、のを思い出した。
BOX型のツアー記念カセットテープ。コンサートに行った時、買ったのかなぁ?



このての整理は思い出の虫干しに終始して進まないものだが、キチキチに詰め込まれていた半分を処分できたことにビックリ。
ダンボールはあと2つ。
コンサートグッズとか、映画のパンフレットとか、旅のあれこれとか、手がけてきた仕事関連とか、より思い入れの強い物たち。
今回のようにさっさと出来たらいいけれど…。

×

非ログインユーザーとして返信する